太郎「何を大事にしているのか、お前は」

昨日、いつもの様にまた酷いことをしていた。僕の良いところでもありそして悪いところでもある部分が大幅に道を誤ってしまった。そしてそれに慣れてしまっているのか肯定してしまっているのか、繰り返してしまっている。

僕は昔からよく屁理屈を言う質で、口論が得意だと自負している。もしくは自負してしまっている。それと自分が正しいと思ったことや自信のあることを曲げることにまだ恥じらいがる。いらないプライドである。プライドというのは時にかっこよく、ほとんどかっこ悪いものだ。そんな事は知っているし、世の中の人も客観的に見れば明らかである。ただどれだけ人のプライドをダサいと思っていても自分の身にその機会が訪れた時にきちんと認めたり謝ったり出来るだろうか、、。

僕の場合でいうと、リーダーである、みんなをまとめなければいけない、という誰も期待していないところで突っ張ってしまっていたりする。頑固親父のパターンと一緒である。自分はここで風格を保たなければまとめていく事は出来ない、思ってしまっている。冷静に考えればそんな柔軟性のない人間に誰がついていくのだろうか、誰がまとめて欲しいのだろうか。また口論が得意だと周りに言い張っているのも、プライドをより堅く曲がらないものにしているのだろう。「あの口論得意なアイツが負けたのか」という声に恐れて、闇雲に誰かを罵り論破し、勝ったつもりでいる。

我に返り考えると、とても恥ずかしい事である。そしてまた、このことを謝るのが恥ずかしい事も同じ事だ。ある友達を失った。失ったとは大袈裟なのかもしれないが、そうであるだろう。こんな事をしていては、ついてくる人どころか一緒に歩き相談する相手も居なくなってしまう。プライドだけを背負い破滅への道をゆっくりと下って行っている。

もう彼に言葉が通じる事は無いのだろう。もしこの文章を読んでも、「アイツは変わらない」と思われるのかもしれない。僕がこれからするべき事は周りでいてくれる人を大事にし、輪を広げ慕われる人間になる事。そうしていく事で一度は壊れたものも直るかもしれない、ゆっくりと。

バモスの中の竹田太郎

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